建設業の格差は、役所の行為の結果ではなくて原因

ちょっと昔のエントリですが、はてなブックマークに上がっていたので、建設業界の格差社会は役所が作り上げているんじゃないの:ekkenを読みました。


普通に考えて、「建設業界の格差社会は役所が作り上げている」んじゃなくって、最初から格差がとんでもなく存在していて、役所がその格差の縮小に失敗しているって話じゃないの?


建設業界素人の目から見たって、鹿島や清水、大成といったスーパーゼネコンと、地場の小さな工務店の間に技術的には大きな差があるのは自明でしょ。っていうと、地場の小さな工務店は、スーパーゼネコンには細かな施工の技術がないとか言いかねないんだけど、スーパーゼネコンは、自分でそれをやる必要はなくって、誰がそれをできるか知っていて、それに要する適正なコストを知っていて、手抜いてないか品質のチェックができれば十分。ITゼネコンと同じ。地場の小さな会社は、NTTデータはエレガントなコードをかけないとかいうけど、それが全然勘違いであるのと同様。


建設業界には、技術的にも人材的にも資本規模的にも、最初から話にならないくらいの差がある。これが大前提。


そんで、役所は、まさに上記エントリに書いてある通り、業界を守るため、それはつまり、まあ彼らの使命感と、彼らの及ぶ範囲の有権者を減らさない=政治家への影響力を維持するために、官製談合とかあらゆる手段を使ってきた。ついでに天下りも受け入れさせてきたけど、それはなんというかお釣りの部分で、それそのものが目的とは言い難かった。それが昭和のころの話。


でも、平成に入ってから官僚バッシングと、入札透明化を標榜するWTOとかの圧力と、政府の「無駄遣い」大嫌いな(つまり自分に回らない金は全く評価しない)国民世論ww(参照)が猛々しく公共事業所管官庁を襲い、建設業界を守ろうにも、四の五の説明がつく仕組みしか許されなくなって今に至っている嘆きが冒頭のエントリってところでしょう。


本当に役所に建設業界の保護を求めるなら、官僚バッシングやめて、入札透明化という名の国際圧力やめさせて、ついでに国民世論に公共土木の予算の「無駄遣い」を認めさせないと、役所の不手際だけあげつらうのは論点そらしっつーか、むしろこの文脈だと逆効果。建設業界の首を絞めている一角の官僚バッシングに相乗りしているようにしか見えない。


だから冒頭のエントリは話の立て方が最初から間違ってる。建設業界における格差は、役所のつまらん行動の結果ではなく、原因。


実はこれは医療保険の世界で昭和後半のころからおこっていた話。医療の世界では、医者が儲けすぎているから国民医療費がかかりすぎると言う批判を受けて、厚生省(当時)が保険点数表(医療の公定価格表)に細かいくだらない条件をつけすぎた結果、普通に病院経営をやっていたのでは必ず赤字になり、儲かっている病院はえげつなく保険点数表の裏をかくようなことをやっているところに限られるといった事態が、すでに昭和60年代に発生していたのは、知る人ぞ知る事実。このときも、官僚バッシングと、保険診療の透明化を標榜する企業健保と、政府の無駄遣い大嫌いな国民世論wwが猛々しく厚生省を襲ったのでした。


日本の政治構造って、ほんとに昔から変わらないものですね。まあ違うところを言えば、建設公共土木が守るものは、建設以外には従事できないような低スキル労働者の雇用であり、医療保険が守るものは、公的医療保険がなければ適正医療を受けられない大半の国民の権利なので、守られてる範囲がずいぶん違うような気はするのですが。


(参照)
税金の無駄遣いを批判したければ生活保護を受けないニートになれよ - 常夏島日記